営業方針

1.事業は人なり、人の和なくして何事も出来得ない。

2.労使共に協力し、上意下達、下意上達たえず意志の疎通を図る。

3.取引先とは、共存共栄の気持をたえず持ち続け、感謝の気持をもって取引を図る。

4.事業に対しては、たえず研究し熟慮断行し、将来計画はたえず考え目先にのみとらわれない事。

5.公共性のある仕事。

(故二代目、片山音吉遺訓)

当社は、その昔池田藩の御用商人の家に生まれた片山弥吉が、幕末の頃岡山市岩田町に於て白米・雑穀・ 薪炭を商う店を興し、その子嘉吉が1882 年(明治15 年)米雑穀の問屋業へと飛躍的発展したのが始まり であり、その子音吉(初代)は内容の充実販路の拡張に務め、1926 年(大正15 年)養子政治が二代目片 山音吉を襲名してからも変わらぬ誠実一路の商いで、米穀は北海道から九州迄全国一円に販路を拡め、小 麦は日清製粉(株)、増田製粉(株)の特約店として大量納入を行い発展の基礎を築いてまいりました。
1930 年(昭和5年)資本金10 万円で合資会社片山商店となり、1935 年(昭和10 年)に本社を岡山駅前 へと移転いたしました 。

 戦時中、食糧統制の為しばらく休業いたしましたが、戦後、製粉・精麦・搾油・飼料の各部門の業務を再開。1948年(昭和23年)3月片山産業有限会社を設立、1955年(昭和30年)10月株式会社に改組、1966年(昭和41年)2月に本社を岡山市清輝橋に移転いたしました。

その後、食糧事情、社会事情の変遷に伴い製粉、精麦、搾油部門を廃業し、主食用米、加工原材料用米の加工販売、および飼料、小麦粉等の販売業務を主力とする現在に至っております。

History

  • 1982年(昭和57年)10月

    創業100 周年記念式典を挙行

  • 1983 年(昭和58 年)10 月

    本社および精米工場を現在地、岡山市中区桑野に新築、移転

  • 1995年(平成7年)11月

    新食糧法の施行を機に、片山正志が代表取締役会長、片山芳孝が代表取締役社長に就任

  • 2000 年(平成12 年)5月

    中華人民共和国 江蘇省宜興市に出資会社「宜興隆元大米有限公司」を設立、日本および諸外国向け、 中国国内向け米穀の精米を開始

  • 2001 年(平成13 年)10 月

    岡山県倉敷市の白神糧穀株式会社の事業を継承、倉敷支店を開設し米穀・燃料等の営業を開始

  • 2003 年(平成15 年)

    新食糧法の改正で米穀の流通規制が緩和されたことにより、全農とのパイプをより強化する事と並 行して、岡山県内大規模生産者への米穀の生産委託に取り組む

  • 2005 年(平成17 年)

    原材料用米ラインに色彩選別機(サタケ マルチソーター 160 チャンネル)および主食用米ライ ンに異物除去装置(精研工業社 クリーンセパレーター)を本社精米工場に導入

  • 2006 年(平成18 年)

    酒造用米ラインに全自動精米機(サタケ ニューオートマスター) 2基を導入

  • 2006 年(平成18 年)11 月

    米穀部門を本社に統合し、また燃料部門から撤退し倉敷支店を廃止すると同時に、倉敷市水島に ストックヤードを開設、岡山県西部地区向けの米穀部門の拠点とする

  • 2010 年(平成22 年)

    精米設備を大幅に新設、更新
    ・主食米精米ラインに安西製作所のガラス選別機ハイパーソーターHCT550を新設
    ・第二の主食米ラインを新設。このラインにも安西製作所HCT550を導入。これで主食米ライ ンは2ライン体制となり緊急時にも対応できることとなる。また同ラインでは玄米からの着色粒、 白濁粒の除去も可能
    ・原料米ラインに安西製作所のガラス選別機スーパーカラーソーター コンビタイプを増設

  • 2015 年(平成27 年)

    酒造好適米の超高精(20%)が可能な小ロット精米機(できあがり白米180Kg から可能)サタ ケNDB-15A 改良機を新設

  • 2015 年(平成27 年)~ 2016 年(平成28 年)

    2 年間にわたり、原材料用米精米専用ラインの精米機を新型に更新(バーディジェットVJ-40C)

今後共、誠実一路の商いを心がけ、歩み続けてまいります。