序章図
片山産業は稲作農家、酒蔵、精米機メーカーの3者との連携で、
岡山県産の代表的酒造好適米・雄町の高精米加工を実現。
それを使った、大吟醸酒を誕生させ、
2015年(平成27年)末、酒造メーカーによって商品化させることができました。
当社にとって初めての農商工連携でしたが、そこには予想しえないようなドラマがありました。
「想い」が「連携」を生み、「連携」が初の試みを「結実」させる。
そんなストーリーの概略をここにご紹介いたします。
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2014年(平成26年)2月。片山産業代表の片山芳孝は6次産業に関連した会合に出席した後、会場にいた馴染みのメンバーを誘って、岡山駅前の居酒屋にいた。
話は次第に食のこと、米のこと、日本の農業のことに移っていく。自身、大の日本酒党である片山は、「くやしいなあ、くやしいなあ。岡山には雄町という素晴らしい酒米があるのに、山田錦と比べたら出荷量は10分の1以下にとどまっている」「雄町を酒造米の表舞台に引き上げるには、結果を残すのが一番」「ならば、今まで不可能とされてきた雄町を、誰もが驚く20%まで磨き、全国新酒鑑評会で金賞を狙うという作戦。いいアイデアだと思わないか」・・・。
酒席での話と言ってしまえばそれまでだが、今まで蓄積してきた雄町への思いを、仲間の前で熱く披露した。
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まだ誰も実現したことのない試みだからこそ挑戦し甲斐がある。しかし、単独では実現不可能。連携の必要がある。 これが実現でき、成功したら、雄町の未来も、農家の未来も大きく開けてくるはずだ・・・。 構想を実行に移すべく、片山芳孝がまず向かったのは、懇意にしている地元酒蔵のオーナー。ここは新感覚の商品を積極的に打ち出しており、この人ならわかってもらえるはず、と切り出した。 オーナーの反応は早かった。 「面白い。ぜひやってみたい」。
共感による連携の歯車が、ひとつ、動いた。
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雄町はかつて「幻の酒米」と呼ばれたくらいに、生産量が激減した一時期があった。理由は、病害虫に弱く、稲は背丈ほどもあり倒伏しやすい。栽培に手間がかかることから敬遠されていたためだ。それと、酒米は周辺部を削って使用するが雄町は中央の心白と呼ばれる部分が大きく、脆いため、高精米は難しいとされてきた。従って、雄町の高精米を実現するためには、心白が線状の雄町が必要となる。片山芳孝が次に訪ねたのは、雄町を栽培する農家。従来の米質とは違う性質に栽培ができないか打診した。「もし、栽培に失敗しても、全量、責任をもって買取させてもらいます」。 「将来、雄町の生産増につながるなら、我々としてもありがたいこと。工夫して栽培してみましょう」と協力を約束してくれた。 居酒屋談義から4か月後、片山の願いを託した雄町の苗は、田植えの時を迎えた。
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片山産業は精米の専門企業。工場内には21基もの大型精米設備が並ぶ。主食用のほかに、酒造米用の設備もあるが、既存の設備では、高精米加工はできない。精米途中にどうしても割れてしまうのである。 ならば、新しく改良した設備を導入する必要がある。 が、そもそも、そんな機械が作れるのか・・・。 片山芳孝は広島県の精米機メーカーに向かった。 この計画を披露し、協力の約束を取り付けるためである。
何度か交渉を重ねたのち、開発協力にゴーサイン。 初回訪問から半年後、既存の製品に改良を加えた「試験プラント完成」の報が片山の元に届いた。
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農家の手で育てられた雄町は、玄米にして20俵。肝心の米質は、心白が線状の状態だが、実際に磨いてみないとその性質は判定できない。 これまで雄町の精米は40%程度が限界とされてきた。 なので、最初の挑戦数値は40%を切る35%に設定。祈る気持ちで試験プラントでの精米加工に立ち会う。 結果、見事に数値クリア。安堵の笑顔が広がる。 きれいに削れ、心白の状態も申し分なく、無効精米も少い。 これでひとまず、雄町精米の新境地を開くことができた。 「次は30%を下回る29、いや28%でやってみますか」と担当者。「いや、20%でやってください。失敗しても、また来年、工夫して挑戦したらいいんです」と片山。 35%精米した残りの玄米すべてを20%精米に設定。 始動ボタンは押された。
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いろんな縁と連携がうまく回って、もともと居酒屋での談義ごとが、こうやって現実に動き、最終局面を迎えることとなった。米の性質と精米設備の性能がうまくマッチして、20%精米に見事成功。 出来上がった酒米は、最初に話を持ち掛けた酒蔵の元へと持ち込まれた。 蔵の杜氏も、こんな酒米を手にするのは初めて。これまでの経験と知識を総動員しての一発勝負仕込み。 かくして、雄町20%白米による大吟醸酒は醸される。 居酒屋談義があった翌年の平成27年秋。雄町の大吟醸酒は真新しい意匠を与えられて市販開始の日を迎えたのである。 その前の4月。酒蔵での利き酒の日に、期待と緊張織り交ぜて初めて口にしたときの味わい。 片山芳孝にとって、一生忘れることのできない美酒であったことは言うまでもない。
農商工連携による雄町20%の酒づくりの足跡は、別途「共感の連携 酒造好適米・雄町の高精白化と、大吟醸酒誕生への挑戦」小冊子にまとめてあります。 興味のある方はぜひご一読ください。(PDFファイル)
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